「魂の闇夜」と「魂の朝」

“幼い赤ん坊は体の機能が大人のように発達していないため、大人のように表現することはできないものの、はっきりとした意識があり、完全な気づきを持っている。というのも、体の機能が未成熟でまだ使われていないため、人生におけるこの時期は、魂が最もはっきりと表に現れることができるのだ。

その後、人生の中である時期がやってくる。これはあたかも魂が眠ってしまい、遺伝子が主導権を握ってしまうようなものだ。これは、輪廻転生する存在にとっては普通のパターンである。そして思春期の頃になると(現在の文明における思春期は昔に比べるとはるかに早いが)、二極性にもとづく感情的な嵐がやってくる。二極性は男と女、少年と少女をはっきりと区別する。すると、魂の声はすっかり弱まってしまう。なぜなら、体はいまや生殖の準備を整え、その結果、エネルギーは背骨の下の蛇へと落ちていき、このエネルギーが全身を生殖行為に向けて活性化するからだ。こうして、魂は完全に黙ってしまう。

その後、とりわけ35歳を過ぎてから、「ゴールデン・エイジ」が始まる。この時期、人間の体の中で魂が目覚め始めるのだ。その存在が賢くなったがゆえに、魂の目覚めが始まるのである。これまで魂は、体が馬鹿で傲慢になることを許してきた。体が性交したり、あらゆることをするのを許してきたのだ。だが、体が賢くなったある朝、魂がしゃべり始める。それはある種の「促し」である。それはまるで誰かがささやいているようだが、あなたの脳はそれを言葉として言い表すことができない。それはある種の「傾向」あるいは「促し」であり、「何となく落ち着かないような気分」である。

さて、魂の誕生は、体の誕生と同じくらい劇的な出来事になることがある。魂が誕生するためには、遺伝的に受け継がれた分厚い膜を突き破る必要があるからだ。魂が誕生するためには、あなた方が「態度」と呼んでいる、ニューロネットの強固なプログラムに打ち勝つ必要がある。したがって魂は、遺伝的、環境的、脳神経的な分厚い膜を通して押し上げられていくのだ。それまでは体が主導権を握ってきたので、魂は体の支配のまっただ中で誕生しなければならない。きわめてまれに、魂が喜びの中で誕生することもあるが、ほとんどの場合、魂は苦闘の中で生まれる。つまり、いわゆる「魂の闇夜」の中で生まれるのだ。「魂の闇夜」とは、魂の奮闘のことである。

さて、われわれがここで言っているのは「魂の促し」のことだ。それは、よみがえりつつあるスピリットの記憶である。これは、その後も続く戦いだ。この戦いは、残りの人生の間中ずっと続くこともある。では、誰が戦っているのか? この戦いは、躁うつ状態の人間を生み出す。それはまさに、うつ状態の人間を生み出す。それは不幸な人間を生む。短気で怒りっぽい、すぐに切れる人間を生み出すのである。これはあなたにも心当たりがあることではないか? こういったことが起こるのは、魂の時間、魂の誕生における魂の見方というものが、その魂が宿っている人間が持つ考え方とは相容れないものだからだ。いまや、魂がそれ自身の存在を知らせるときがやってきたのである。

では、この「魂の夜明け」とは何なのか? それはいわば、魂が進み出て、宿っている人間の脳と心にその意志を押し付けてくるようなものだ。魂がある種の意志を押し付けてくるわけだが、その意志は多くの場合、その人間が自らの過去を破壊することを迫る。魂が過去を生き返らせることができるようにするためだ。それは「不死鳥」の物語である。「不死鳥」の物語はこのことを言っているのだ。

そして、魂がそのときにやることは、たったひとつの輝かしい、驚くべきことだけかもしれない。魂が達成するのはそれだけかもしれない。だが、「魂の朝」がやってきて、魂が輝きと光に満たされ、魂がある仕事を達成したとき、その人間は完全なる心の安らぎと至福感に満たされる。なぜなら、魂が自らの目的を達成したからだ。どんなに金があろうと、またどんな男や女であろうと、どんな種族や文化、どんな宗教や神であろうと、「魂の朝」がもたらすこのようなエクスタシーをわれわれに与えることはできない。これは、人間性という強固な覆いを突き破り、魂が自らの仕事を成しとげたときにおとずれる。その仕事を成しとげるために、魂は自らの神によってここに送られるのである”

―ラムサ

書籍「メイキング・コンタクト ― 人生における魂の旅と魂の目的」より
(1996年2月の講義)

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