内省と叡智の季節

”ハイホリデーの祝いは、たった数日間だけ行うものではなく、とても長い期間にわたった行うものだ。私にとってはこれはつねに、長い期間にわたる叡智の季節だった。叡智は内省を通して獲得される。つまり、一年を振り返って、自分の進化において、自分がどうだったかを評価するのだ。このすばらしい年に、そして春と夏に、あなたは何を学んだだろうか? あなたの夢は花開いただろうか、それとも、あなたの夢は実現しなかっただろうか? この長いハイホリデーの季節に、人は黄金の葉のように、自分が創造した体験の叡智を得る。何がまだ続いているだろうか? 何を変えただろうか? あなたはそれを変えただろうか、それとも、変えなかっただろうか? あなた自身に関するこの驚くべき知識を、あなたは賢く利用しただろうか? あなたは毎日変化しただろうか? あなたは自己修正しただろうか?”(ラムサ)

 

”さて、われわれの学校には、なぜわれわれがクリスマスを祝うのかを理解していない存在が本当に沢山いる。そして彼らはこう言う。「ああ、そうでしたね。『物質の中のキリスト』ですね。わかってます」と。

だが、実際には、この祝日は、ほとんど私の時代にまでさかのぼる異教徒の祝日である。それゆえ、これはキリスト教の祝日ではないし、何らかの宗教の祝日ではない。これは『物質の中の神』の祝日だ。物質の中のキリストである。

さて、ご馳走を食べることが遥か昔に始まったことは、あなた方も理解できるだろう。だが、クリスマスが現代に伝わるまでに、この偉大な祝日は、深い洞察力を持ったオーストリアの国々に取り入れられた。それは、イニシエート達の秘密の系譜によってヨーロッパの初期の時代にもたらされた。彼らは、シンボルの形で象徴的に思い出し、休息するために、この祝日をもたらした。そう、クリスマスとセント・ニコラス(*サンタクロースのこと)は、現代のヨーロッパで始まったである。

*セント・ニコラス:セント・ニコラス、つまり「ミラの聖ニコラス」は、3~4世紀頃の小アジアの司教であり、「サンタクロース」の物語は、彼の人生の物語が基盤になっている。

だが、人々は何千年もの間ずっとこの祝日を祝ってきた。興味深いことに、これは「異教徒の祝日」と呼ばれていたが、全く異教徒的ではない。これは「マスターの祝日」である。このような祝いが冬に行われるべきである。というのも、この時期は、新しい太陽が生まれるからだ。「新しい太陽」という言葉は二つの意味を含んでいる。ひとつは空にある太陽であり、もうひとつは、男から生まれた太陽が神として崇められ、女から生まれた太陽が神として崇められるということだ。

さて、われわれが少しの間、常緑樹に目を向けてみるなら、レバノンの常緑樹は、古代の世界では最も神聖な木だった。実際、最も優れた神殿はレバノン杉を使って建てられた。それらはシュメール文明や、それよりも前の時代、そして最も初期の頃の深遠なエジプト文明にまでさかのぼる。常緑樹は神聖な木と見なされていた。

*常緑樹:モミやスギなどの常緑針葉樹を指す。

この木は、古代のレバノンで深く崇められていた。なぜなら、それは自然界において「決して死なない」ということを象徴していたからだ。その木の周りにあった他の全ての木は、(雲の覆いが破壊されて)太陽が現れると、熱のせいでしなびて、葉を落とし始めた。そして異なる気候の中で生き延びるために、遺伝子を変え始めた。常緑樹はどんなときであれ、ずっとそこに存在していた。そしてそれは、自然の中にある不死のシンボルになった。不死のシンボルだ。常緑樹は、殺されない限り、死ぬことを知らない。それは、水を絶たれない限り、死ぬことを知らない。この地域では、常緑樹はその根を更に深く伸ばして生き伸びている。はるばる中国まで届くほどの根だ。ここにある常緑樹は、毒を与えられない限り死ぬことはない。だが、それはつねに青々としている。

そして私の軍隊だが、私はあの岩から去ると、私は自分の軍隊を率いて巨大な森に行き、「森の王」に会いに行った。それは、それまでに存在したことのある最も巨大な木だった。そして、私は自分の将軍達に、幼い子ども達のように、この木を囲んで手をつながせた。それは彼らを当惑させ、彼らにとって屈辱的なことだった。彼らは、子どものように見られたくなかったからだ。

私は彼らに尋ねた。「この木が知っていることで、お前達が知らないことは何だろうか?」と。(中略)そして、答えが返ってきた。「われわれはこの木を切り倒し、燃やすことができます」

「それがお前達の答えか。この木がお前達よりも大きいから破壊するというのだな。この木の真実は、お前達の小さなマインドよりも遙かに大きい。お前達のとても小さなマインドよりも。極めて美しい、高くそびえ立つ何かに接するときのお前達のやり方は、その影が自分を覆わないように、それを破壊することである」

私は困惑し、動揺しながら彼らに答えた。私は理解したのだ。つまり、名声や勝利や富、そして何かを所有することが、神なる人間のマインドの成長をいかに妨げ得るかということを、私は理解したのだ。それらは、自らの財産を守るために、神なる人間のマインドの成長を阻む。そのとき私は、われわれが問題を抱えていることを知った。

少し考えた後、私は彼らを見てこう言った。彼らは全員、雄々しさで満ち溢れ、この偉大な木を切り倒し、巨大なたき火を作ろうとしていたからだ。自分よりも大きな何かの大きな破壊である。

あなた方は、自分も人生で同じようなことをやっていることに気づくだろう。つまり、あなたは自分よりも大きな真実を論破して中傷し、それを自分のちっぽけな物語の一部にする。あなたがそうするのであれば、あなたは私の昔の軍隊と同じようなものだ。あなたは成長すること、変化することを忘れてしまっている。世界の虹となり、夢を創造することを忘れてしまっている。あなたが夢を創造すれば、希望と呼ばれる世界の中で、その後に続く世代がそれらの夢を実現することになる。だが、それらがすぐに阻まれてしまうのであれば、われわれはこの物語の核心部分を切り倒してしまったことになる。この物語は、私を含めて、われわれ全員に関するものである。

3万5千年前、森の王に対する私の軍隊の答えは、それを切り倒して燃やすというものだった。これこそが小さなマインドであり、ある人間が「自分達は全てを知り尽くした」と思っているときに、このように答える。(中略)

私は言った。「お前達はそうすることができる。お前達はこの偉大な木を切って燃やすことができる。だが、この木に脅かされ、この木がお前達やお前達の子孫よりも長生きすることに苛立ちながら、そうするのであれば、お前達は、自然の驚嘆するようなすばらしさの前で立ち止まらなかったことになる。この偉大で神秘的な森の中で、自然はまさに今、お前達よりも優れているのだ。というのも今夜、お前達が家に帰り、恋人や妻を妊娠させるとき、お前達は、自分の家系の小さなマインドを脅かすものは何でも破壊するという性質を、遺伝子として子孫に伝えることになるからだ。何と哀れなことか。確かに、お前達はこの木を破壊することができる。お前達はこの木を燃やすことができる。切り刻むこともできる。だが、そのようにするなら、お前達は、不死のシンボルである驚くべきものを破壊してしまったことになる」

それから、私は彼らに手を下ろすように言った。ほとんど誰一人として、真剣に私の話を聞いていなかった。彼らは苛立ち、心の中で不満をつのらせ、不愉快に思っていた。私は再び言った。「確かに、お前達はこの木を破壊することができる。だが、そうすれば、お前達は知識のシンボルを破壊してしまうことになる。そのシンボルは、自然の中で成長しながらこう言っている。『私が不死の存在になれるのであれば、私の下を歩く親愛なる神々よ、あなた方もそうなれるのだ』と」

ラムサ
2000年12月の講義より抜粋

 

このページをシェアする場合はこちら