ラムサ「マスターを定義する」より

”マスターとは何なのか? マスターは、神が完全に表に現れ、神がパーソナリティーとなるときに生まれる。マスターは輝いており、美しく、何の不足もない。マスターはまさに何の制限も持たず、まったく汚れがない。マスターは「今」という瞬間に生きている存在であり、つねに「今」の中にいる。つまり、全てが「今」となった状態だ。これは、あなた方全員がこの学校に来てなろうとしているものであり、これがマスターだ”
”マスターとは、パーソナリティーが何の汚れもない窓となるところまで、パーソナリティーを丹念に変えた存在のことだ。グレートワークの生徒として、われわれが意図的にそうするとき、われわれは新しいワインのための容器を準備する。容器とは、マインドと肉体のことだ。われわれは新しいワインのためにそれを準備する。新しいワインとは、ホーリースピリットのことである”
”あなた方全員にとって、マスターとしての人生は存在するのだろうか? もちろん存在する。この部屋にいる誰もが、完全なキリストとして歩くという可能性を持っているのだろうか? もちろんだ。死を克服したアセンドした存在としての人生だ。この部屋の中に、そのような不死のタイムラインを可能性として持たない人間はいるのだろうか? この部屋の誰もがそれを持っている。あなた方はそれについて学んだので、より確実にそれを持っている(中略)だが、マスターになることを願うだけでは駄目なのだ。マスターになるとは、もっと遥かに大きなことだ。あなたがマスターではないのは、マスターになることがあなたの普通の思考ではないからだ。(中略)あなたはまだそれを選んでいない。あなたが選んだのは、今の普通の人生だ。われわれの教えは、あなたにマスターの人生を普通に選ばせるためのものだ。つまり、無理やりにではなく、うわべだけでもなく、選んでいるふりでもなく、狂信者として選ぶのでもなく、普通の生き方としてそれを選ぶということだ。そうすれば、その可能性は実現する”

「マスターを定義する」(日本語版CD)より