古代の叡智の学校

”古代の叡智の学校は、まず第一に「あなたは神である」ということを教える。あなたが神であるなら、あなたは何でもできるはずだが、なぜそうではないのか? 古代の学校は、神になる方法を教えるわけではない。学校が教えるのは、態度、つまり細胞の態度を変えて、既にそこにあるものを表に出す方法である。

では、あなたには、手の中で物質化する力があるのだろうか? それはすぐにできる。あなたは遅い天界にいるので、5~6秒かかるかもしれないが、あなたにはそれができる。あなたには、自分の体のどんな病気も治す力があるのだろうか? もちろんある。だが、まずは脳にそれを確信させる必要があり、そうすれば、肉体が変わる。どうやってそれに取り掛かればいいのか? 無知を修正することによってだ。(中略)

私はあなたに、最も簡単な言葉で論理的に説明することができる。だが、あなたが自分の疑いにしがみついているなら、それは変えようのないことだ。あなたがそれを自分で変えようとするまでは、それは変わらない。なぜなら、あなたは神だからだ。ひとつの偉大なことを行なうために、あなたはヴォイドから自由意志を与えられているが、それは「未知を既知にする」ためだ。それがあなたの唯一の運命である。あなたの運命は看護師なることではない。弁護士になることでもない。あなたの運命は「未知を既知のする」ことだ。それは美徳を持つことだ。美徳とは、禁欲生活のことではない。洞窟に住んでいる人間は誰でも、美徳のある人生を生きていない。彼らは無知である。美徳と禁欲は異なるものだ。美徳のある人間とは、人生のすべてを生きてきた人間である。彼らは何かを創造し、それを体験し、それを叡智として完了し、さらに先へと進む。彼らが美徳を持てば持つほど、彼らはあらゆる人間に対して思いやり深くなっていく。(中略)思いやりは無知から生まれるわけではない。それは美徳から生まれるのだ。美徳はどこから生まれるのか? すべてになることから生まれる。それが未知を既知にすることだ”

ラムサ
「おとぎ話が現実となるとき」より
(1998年9月に行われた「ビギニングC&Eワークショップ」の講義)