フィールドと運命:自分自身を征服する

”このフィールドをひとつの運命としてみなしてほしい。あなたは、自分がしばらくの間フォーカスし続けるためのカードを、フィールドのフェンスにつけた。あなたは目隠しをした状態でこれをやる。なぜなら、目隠しをした状態は、誰も未来を理解していないことを象徴しているからだ。われわれには未来が見えない。

われわれは諸々の障害物や、過去の諸々の気を散らすものを通過していくが、われわれはカードに描いたものをどれくらい強く望んでいるだろうか? われわれは自分から進んでそれらの障害物や「自分自身」を征服し、自分の神にその絵を見せ続けるだろうか? あなたはどれくらい強く神を愛しているだろうか? あなたは、しばらくの間、同じ絵を脳の中に保持し、その絵を神に見せ続けることができるほど十分に強く神を愛しているだろうか? 神はただそれを見ることを望んでいる。余分な思考をまったく抱かずに。あなたは、それらの余分な思考をすべて克服しなければならない。あなたはしばらくの間、たったひとつの画像だけを保持する必要がある。これは征服である。

あなたは、カードに描いたものを疑いよりも強く望むべきだ。そして、自分の疑いを克服して、自分は混沌に満ちたフィールドを通過できるのだということを証明する必要がある。「観察者」のためにひとつの目標だけを保持し続け、「観察者」がその絵を観察するようにするのだ。そして脳が、その絵の概念に相当する意識の流れにつながり始めるようにするのだ。あなたが初心者であれば、これには時間がかかる。だが、これは、あなたが自分自身を征服する旅であり、未来がどのようなものであるかを学ぶ旅である。

したがって、これがわれわれの教え方だが、あなたのカードがフィールドのフェンスについているとき、それは、「あなたの目の前に歩むべき旅がある限り、あなたには何も起こらない」ということを意味している。つまり、あなたが死ぬことはないし、事故に遭うこともない。あなたがその「運命」を成就するのを妨げるものは何もない。なぜなら、あなたがフィールドワークを開始した地点から、あなたがそのカードを実現するまでの旅は、あなたの「運命」だからだ。

あなたはある人間を見て、「あの人間は幸運に恵まれている」と言う。彼らは偉大な力とともに前進している。彼らには、人生の中でやるべき偉大なことがあるのだ。だからこそ、不運や災難や逆境があっても、彼らはそれらを超越しているように見える。というのも、未来の中の一点に、彼らは成就すべき「運命」を持っているからだ。「運命」を持っていない人々は死んでしまう。一日が彼らを創造してしまうからだ”

ラムサ
2009年の講義より

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