”私の教えは宗教だろうか? 違う。宗教はひとつの制限だ。それは、私の力を信仰の中に制限してしまうことであり、人生を生きることではない。
人生は贈り物だ。毎日、何時間も瞑想し続け、人間の苦しみから逃げながら人生を生きてはいけない。苦しみは人間の逆境の一部であり、それは、その人間が偉大になるための原動力を生み出す。
あなたの苦しみと魂の闇夜によって、あなたの周りの花々は死んでいるが、その状況から立ち上がるまで、あなたは自分がいかに偉大であるかを知ることはない。あなたの悲しみ、うつ状態、希望のない状態、それらは全て、人間の普通の生き方の中ではリアルなものだ。というのも人間は、態度と自分自身のアイデンティティーによって捕らわれてしまっており、それらが、人間の中にある輝きを抑圧しているからだ。
マスターはその光を輝かせることを学ぶ。マスターは感情体について学び、自分の思考プロセスは単なるプログラムにすぎないということを学ぶ。あなたが死ぬとき、それらは葬儀屋によって抜き取られるか、燃やされて灰になってしまうだけだ。
人生は贈り物である。洞窟の中で瞑想しながら生きている人間は、この贈り物に取り組むことを恐れている。そのような生き方は、われわれの中にいる神とは相容れないものである。神はわれわれが未知の領域に行くように促している。
あなたが人生から退き、人生から隠れるなら、あなたは何も作っていないことになる。
あなたが愛を失うまで、あなたは決して愛を知ることはない。あなたが失敗するまで、あなたは決して痛みを知ることはない。あなたは決してこれらのものを知ることはない。それらは感情的な体験であるが、われわれは絶対に、それらが自分であると思ってはいけない。われわれはそれらの体験を、自分に叡智を与えるものにする必要がある。
人生は贈り物であり、あなたは神である。あなたは人生から隠れてはいけない。あなたは人生を生きるべきだ。人生は生きるためにある。自分自身の人生の中で光になり、世界の光になるために、人生は存在する。あなたがそのような光になれば、あなたが買い物に行ったとき、あなたが見知らぬ人々のそばを通り過ぎるだけで、それらの人々はあなたのスピリットのエネルギーによって影響を受け、より良い状態になるのだ。なぜなら、あなたは彼らよりも良い状態だからだ・・・”
―ラムサ
2014年5月の講義より