自分自身を征服する旅

われわれはあらゆる人生で、思考を使って何でも作り出せる観察者としての能力を与えられてきたが、それらの人生で、われわれは結局、自分の感情のドラッグ中毒者になってしまった。われわれは未知を既知にすることをやめてしまった。われわれは単にフィーリングに頼るようになり、人生の過酷な闇夜の中で感情がわれわれを導いている。われわれはそのバックストーリーを利用して、自分の善良な人生、自分の才能を蝕んでいる。(中略)あなたはここで前回の人生と戦いながら仕事に取り組んでいる。もしかしたら、それよりも前の沢山の人生と戦っているかもしれない。あなたは、そのときの実験室だった脳の中にのめり込んでしまった。あなたは希望や論理ではなく、感情に従い始めたのだ・・・

われわれの偉大な創造の物語は、あなたを包含し、あなたを励まし、あなたを力づけるものだが、それは「未知を既知にする」ことに関するものだ。あらゆる人生が、この試みにおいて価値を持つ。なぜなら人生は、光が物質を身につけることだからだ。われわれは肉体の電流であり、われわれはホーリー・スピリットである。そしてこの脳はコンピューターであり、コンピューターがスクリーンに投影したものを体は感じる。

かつての自分に関する記録が脳のプログラムの中になかったとすれば、いったいどうやって、あなたはここに転生してきて、かつての自分を完了する、つまりかつての自分を征服することができるだろうか? 更に、救済という輝かしい言葉がどこにあるというのか? 救済は、記憶が消去された状態では起こらない。自分がやったことを思い出せないのであれば、何から救われればいいというのか? 

したがって、「バックストーリー」は、邪悪な霊が具象化したものではない。だがそれは、これまでのあなたの全てが凝縮したものである。(中略) 他人の行為に感情的に反応するのはバックストーリーである。なぜなら、前回の人生で、あなたは感情的に反応したからだ。気持ちよく感じるためである。ここにいる誰もが(この惑星だけでも70億人の人間がいるが)、あらゆる人間がバックスストーリーを持っている。

 バックストーリーは誤って解釈されてきた。なぜなら、人々に教えるという仕事をこれまで誰も引き受けなかったからだ。それは悪魔ではない。それは悪魔崇拝ではない。悪魔を崇拝する人々は、自分自身のバックストーリーが表に現れるようにバックストーリーに力を与えているのだ。それが動物であろうと、子どもであろうと、人間であろうと、空気であろうと、彼らは無垢なものを傷つけ、力を得るために悪魔を崇拝するが、それは、それらを破壊することによって「力の感情」を感じるためである。それはバックストーリーである。それは別の存在ではなく、サタンでもない。それは悪魔ではなく、悪魔的な霊でもない。それらは作り話であり、全てはあなたの中に住んでいるのだ。バックストーリーは、これまでのあなたが凝縮したものであり、あなたは生まれてくる前にそれを変えることを誓った。

なぜ名高い男達や女達は、自分の全人生を捧げて、彼らの中の「善」を純化することを追求するのだろうか? それは、彼らの中の「悪」を征服するためだが、彼らは実際には、単にバックストーリーを征服しているだけである。彼らは長い時間をかけて、自分の脳の中に接続を作り、接続を作り、接続を作り続ける。バックストーリーがなくなるまでそれをやるのだ。

 この学校で行うことによって得る真実は、まさに天使のような体験である。それは善であるあなたと、あなたの今の人生を力づけてくれる。それは、あなたがバックストーリーを征服するのを助け、あなたを自由にしてくれる。そして、あなたはあのホーリー・ホーリー・スピリットを脳の中で思い通りに呼び出せるようになる。トランスのような状態でそれが起こるが、自分自身のホーリー・スピリットの輝きで満たされた存在は、本当にパワフルである。それは、それ自身の力を手に入れる。その存在は、不足や不安や諸々の声や悪によって苦しんでいないからだ。その存在は、神の愛で満たされている。その存在は、それらのものを見て、それらを征服することができ、それらに影響を受けない”

―ラムサ
日本語版CD「バックストーリー」より

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